日本人は「3(三)」という数字が好きなようです。
三種の神器にはじまり、日本三景、日本三大○○、御三家・・・
諺に目を向けても、「三人寄れば文殊の知恵」「早起きは三文の得」「石の上にも三年」等々、有名なモノだけでも相当数あるように感じます。
今回は、そんな観点とは異なるアプローチながら、「3(三)」という数字を、「中空性」という概念でリードしていくこちらの逸品をご紹介します。
その論旨は、日本神話に基づきます。
『古事記』のオープニングに登場する造化三神、タカミムスビ(高御産巣日)・アメノミナカヌシ(天御中主)・カミムスビ(神産巣日)のアメノミナカヌシ。
黄泉の国から帰り来たイザナキが生んだ三貴子、アマテラス・ツクヨミ・スサノオのツクヨミ。
そして、天孫ニニギとコノハナサクヤヒメの間に生まれた三人の子ども、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホヲリ(山幸彦)のホスセリ。
これら、3者(アメノミナカヌシ、ツクヨミ、ホスセリ)は、名前は出てきても、ほとんど活動しないのです。
著者は、このことから、日本神話は、その中心に無為の神をもつという一貫した構造をもっていることに注目し、これを「中空性」と位置付け、日本神話のみならず、それ以降発展した日本人の思想の原型と喝破しています。
その後、著者は、父性論、母性論へと導いていきますが、難しい話はさておき、日本神話に描かれた「中心の曖昧な存在」を持ち出すことで、日本人の特性を説明したかったのではないでしょうか。
それは、対立軸という構図をよしとしない、日本人の心の構造。
小生、この概念の起源は、冒頭に挙げた「三種の神器」にあるような気がしています。
その中空性の象徴は、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と捉えておりますが、皆さんは如何でしょうか。
諺について振り返っても、こんな気づきを得ることができました。
「三人寄れば文殊の知恵」は、必ずしも優秀な三人が必要なわけではなく、
「早起きは三文の得」は、必ず三文という恩恵に預かるということではなく、
「石の上にも三年」は、三年かからず、結果が出ることもありますよね。
そう、全ては方便であり、曖昧さを肯定するための「中空性」。
実は、コチラの文庫本、この1年で3回読了していたようです。
かなり曖昧な記憶ではありますが・・・苦笑
お盆休みも終わり、朝晩は微かに秋の気配が感じられるようになりました。
秋の夜長を迎える前に、ナイトキャップ候補としてご検討くださいませ。
ではでは。
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