長梅雨後の猛暑も、お盆が明けると、急に秋の気配を感じる陽気。
令和の御代は変化が激しい・・・そんなことを予想させてくれますね。
しかしながら、どんな時代でも、人間の本質というのは、実は変わらないものなのかもしれません。
そんなことを気づかせてくれる名著が、本日ご紹介するコチラのアイテム。
すいこどうけんすい
と読みます(;^ω^)
10年ほど前、お客様から推薦いただいた安岡先生の講話録なのですが、これが珠玉の人生論なのです。
原著者は、中国・明代の教養人・陸紹珩(りくしょうこう)。
この方が、長年愛読した五十種に及ぶ古典の中から、自然、田園、山水などを楽しみ、世の中の名利など全く眼中にない悠々たる人間の生き方に関する会心の名言・嘉言を採り上げた読書録なのですが、コチラを題材に、安岡先生が分かりやすく繙いていただけます。
ちなみに、「酔古堂」とは、陸紹珩の雅号で、その意味は、古人先哲の学問、文章、見識に酔うというもの。
そして、「剣掃」とは、その剣(心)で、世俗の邪気を掃うという意味なのだそうです。
何だか、読み始める前から、カッコ良すぎませんか(*^^)v
さて、その肝心な内容ですが、今回は、何度も再読して、心に刻み込んだフレーズをご紹介させていただくことにいたしましょう!
老夫婦のことを茶飲み友達という。あれを世間の人は、夫婦が歳をとって、もう色気も面白味も何もなくなってしまった、つまらない老夫婦の仲というふうに考えている。これはとんでもない間違いである。本当は人生の酸いも甘いもなめ尽くして、なんともかんとも言えん情味のある話のできる語らいが、年寄りの茶話というものなのです。・・・・・・茶飲み友達なんていうのも、実はなんとも言えん味のある友達ということであります。<p28>
この文章を読んで以来、小生の人生の目的の一つに、茶飲み友達と巡り逢うことが加わりました(^_-)-☆
挨拶ということの本当の意味を知る人、いや文字を書ける人もこのごろは少ない。挨拶とは人に「うん、なるほど、さすが」と思わせる発言・表現、対象に迫る、ものをきちんと説くことを言うのだ。昔の人は「ご挨拶痛みいります」なんていうが、実によく文字をこなした言葉です。つまり痛いところへピシッと行くことだ。それで痛みいります。挨拶もロクにできんということは、問題にパチッと当てはまらんことを言う。矢で言うなら逸れ矢、的を射ない。何やら訳のわからんことをボソボソ言うとる。昔の人は言いました。「こいつはいい歳をして挨拶もロクにできません」と。あれは名言です。名言というより痛言だ。本当にそれ相当の人物であるはずなのに、ロクな挨拶ができない。議会なんかの問答でも、くだらんことを質問して、それへまた、おもしろくなさそうな顔してトボトボ出てきて、二言三言何やら言うて、お辞儀してすくんでいる。あんなの議会の問答なら、ないほうがいい。情けないことです。
そこへ行くと、さすがに明治時代の議会は、なかなかどうして、それ相当の人物熱論を戦わせて、堂々たる挨拶を交わしておる。それがもう昭和になってなくなりました。<p33~p34>
小生、手前味噌ながら、新入社員のころから、挨拶だけは人並み以上に意識して実践していましたが、こんな深い意味があったとは・・・知らないことばかりですよねm(__)m
・・・・・・何かしら会いたくなるとやってくるんだ。だから、「何か用か」なんて聞くのは、これくらい無情というか、心ない言葉はない。・・・・・・<p52>
自身振り返ると、己の発する言葉で、周りを傷つけている毎日なのかもしれません。そんなことを気づかせていただけるのも、安岡先生ならではですねm(__)m
女房をなんと言うか。奥方、奥さんと言う。これはちょろちょろ外へ出てこないで、ずっと奥に居るということ、いわゆる奥ゆかしいことを表す。・・・・・・このごろは本当の意味の「奥さん」がだんだんなくなって、出かけることばかり考える。・・・・・・<p80~81>
世の中の女性を敵に回すような文章ですが、言葉の意味って大切だと、改めて感じさせてくれますよね(^^♪
終戦のとき、私は天皇の詔勅に「義命」という文字を入れたかったが、当時の閣僚が「こんな難しい言葉はわからん」と言って、その言葉を避けた。そして「時運ノ赴ク所」という運命説をとった。これは実に惜しいことであった。日本の天皇、天子は最も道義の象徴であるから、「義命」を尊ぶのが天皇の道、皇道というもので、風の吹きまわしで考え行動すべき人ではない。人はどこまでも真理に従って生きる、死すべき時は死ぬ、生きる時は生きる。一に道義の絶対的なものに従う。それなのに時の起草者は「時運ノ赴ク所」と書いてしまった。戦争は負けた、これは時運だと。時の運命だから仕方がない、だから「時運ノ赴ク所」で戦争をやめる、降参するというのでは詔勅ではない。詔勅はどこまでも真理に従って生きる。「義命」なのである。だから「義命ノ存スル所」と言わなければなりません。
これが一番大事なところだったが、残念ながら、時の内閣は「義命」なんて言葉は聞いたことがない。われわれでさえ知らんのだから国民がわかるはずがないと安直に考えて「時運ノ赴ク所」となってしまった。あれは日本の戦争史上、国体史上、天皇史上、千古の惜しむべき失敗でありました。<p144~145>
これは重い、本当に重い。流石、終戦の詔勅を推敲された安岡先生!こんなことを提言される教養人、最近お目にかかったことがありませんね。もちろん、大切なのは、われわれ一人ひとりの、教養に基づく自覚なのですが・・・m(__)m
・・・・・・私も暁の時というのが好きだ。暗いうちに起きて、窓を開けて書斎に正座すると白々と夜が明けてくる。そこで、渋茶を啜って、読み、書きものをすると、非常に能率が上がる。・・・・・・やってみるとよくわかります。居眠りしながら夜遅くまで本を読んできるなんて何もならん。それより、朝の四時ごろに目を覚ましてさっそく顔を洗って、机に向かえば、少々頭の悪い奴でも相当に本が読めます。<p162>
正に箴言!かなり頭の悪い小生、初めて読んだ当時、朝型生活に切り替えて数年目だったかと存じますが、安岡先生から勇気づけられたように感じ、おかげさまで、四時起き生活が習慣として根付くことになりました(#^^#)
そして極めつけは、こちらのコトバ!
・・・・・・独りだとどうしても考えこんだり、まごまごしたり、ろくなことはない。愛読書に対してもいいし、あるいは自分の尊敬する友達に対してもいい。あるいは、青山に対してもいい、とにかく何かできるだけ意義があり、権威あるものに対せよ、差し向かいになれという。「労せば酒のむべし」、疲れたら酒を飲め。酒飲むことに決まっておる。・・・・・・<p186>
あゝ、安岡先生、こうして、愚か者がまた一人増えていく・・・(;^ω^)
そんな1冊ですが、お試しいただければ嬉しいですね。
今回もお役に立てれば幸いです。
ではでは。
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