大坂なおみ選手の途中棄権で物議をかもしたテニスのグランドスラム大会の一つ、全仏オープンが今年もフィナーレを迎えました
全仏オープンの最多優勝回数(13回)といえば、男子のラファエル・ナダル選手ですが、70年代から80年代にかけ、その全仏オープンでの4連覇(計6勝)をはじめ、ウィンブルドン(全英)では5連覇という偉業を成し遂げたプレーヤーをリアルタイムで観戦していた方は、オールドファンと呼んでも差し支えないでしょう
そのプレーヤーとは、北欧の貴公子、「現代テニスの父」とも称される
ビヨン・ボルグ選手です
今回ご紹介するのは、そのボルグ選手がまさに全盛期に認めた半生記ともいえる作品です
『ビヨン ボルグ 我がテニス人生』 ビヨン・ボルグ著 日刊スポーツ出版社
出版当時、小生は中学2年生
名古屋市内の公立中学校の軟式テニス部でレギュラー争いをしていた頃でした
当時、テニス(硬式)は、そのボルグ選手をはじめ、ジョン・マッケンロー、ジミー・コナーズ、女子では、マルチナ・ナブラチロワ、クリス・エバート、ハナ・マンドリコワ等、タレントに事欠かず、日本において二度目のブームを迎えていた頃でした
ちなみに、最初のブームは、現在の上皇上皇后両陛下のラブロマンスが盛り上がった1960年前後のことでしたね
半生記といっても、本書の出版は1980年
ボルグ選手は1956年生まれですから、若干24歳の出版ということです
何という早熟
振返ると、当時のテニス界におけるボルグ選手の存在感と影響力は圧倒的でした
ウェア「フィラ」、ラケット「ドネー」、シューズ「ディアドラ」というブランドが認知されたのは、ボルグ選手がスポンサー契約して、コート上で宣伝していたことが最重要成功要因です
「フィラ」は高価で、早い時期からコピー商品が出回ったりしていましたね
「ドネー」は、一般プレーヤーには硬すぎて使いこなすことは難しかったでしょう
「ディアドラ」も高価でしたが、名古屋では品薄だったような記憶です
しかしながら、熟すのが早すぎたのか、燃え尽き症候群的にボルグ選手は26歳で現役を引退してしまいます
いみじくも、当時の最大のライバル、ジョン・マッケンロー氏が、今回の大坂なおみ選手の騒動につき、
ボルグのようにテニスを辞めてしまうのではないかと心配している
と語ったという報道を見つけていました
今回、本書を書棚の奥底から引っ張り出してきたのは、こちらのマッケンロー氏の発言に触発されたたのが要因です
余談ですが、小生の当時のアイドルはマッケンロー氏でした
「セルジオ・タッキーニ」のウェア、「ウィルソン」のラケット(ジャック・クレーマー・プロスタッフ)、「ナイキ」のシューズ(フォレストヒルズ)・・・憧れましたね
大学から硬式テニスを始めたとき(なんと高校に硬式テニス部が存在せず)、ラケットはヨネックスの名器R-22でしたが・・・懐かしすぎる
おっと、本題に戻ります
本書では、ボルグ選手の求道者とも想えるメッセージが印象的です
テニスほど個性を重んじなければならないスポーツはないと思う
少しでもテニスというスポーツに興味を抱かれたら、ビヨン・ボルグという偉大な選手が君臨していたことを知っていただきたい
40年前のテニス・ボーイはそんなことを想っています
あっ、テニス・ボーイといえば、あの名作を紹介する機会も虎視眈々と・・・笑笑
今回もお役に立てれば幸いです
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。