今年9月の誕生日、数え年で卒寿を迎える五木寛之さん
想い起せば、20年以上前、その著書を貪るように読んでいました
その頃、講演会に参加したこともありましたね
確か幻冬舎文庫の『大河の一滴』が、著書との初対面だったのではないでしょうか。
その後、『人生の目的』や「生きるヒントシリーズ」「発見シリーズ」等、30冊くらいと向き合っていたのではないでしょうか
ところが、自身四十路を迎えた辺りから、何故か距離を置くようになっていました
久しぶりに新作を手に採ったのは数年前のこと
大学の同級生夫妻の奥方からオススメいただき『玄冬の門』と向き合っていましたが、その内容は相変わらずで、死生観ならびに人生観について、五木寛之ワールド全開という印象を持っていました
さて、今回ご紹介するのは、20年以上前、貪るように読んでいた頃に書縁をいただいた文庫本です
『他力』 五木寛之著 講談社文庫
「他力本願」は、本来の意味からはかけ離れ、誤用されたまま定着した言葉です
自分自身の努力ではなく、もっぱら他人の力をあてにして望みをかなえようとする姿勢
と一般には認識されています
その本来の意味とは、
阿弥陀仏(如来)の本願の力によって成仏すること
自分自身が厳しい修行に臨み、授かった功徳で悟りを得るわけではなく、阿弥陀仏(如来)の本願によって救済されること
を意味しています
五木さん自身、五十路を迎えた頃、小説家としての活動を突然止められ、京都の龍谷大学で3年間聴講生として仏教史を学び、同時に浄土真宗に傾倒していきます
小生が親しんでいた五木さんの作品群は、その後に発表されたものばかりです
今回、ご紹介する『他力』もベースは、浄土真宗の思想
親鸞上人(浄土真宗開祖)、その師である法然上人(浄土宗開祖)
そして、五木さんが最も好きな宗教家と思われる蓮如上人から受けた影響が相当大きいことが如実に理解できる内容です
「他力」とは、阿弥陀仏(如来)の力を借りること
「本願」とは、人々が仏になろうとする願い
そして
「南無阿弥陀仏」
と唱えることで、阿弥陀仏(如来)に導かれ極楽往生を得ることができるという教えです
「南無」とは、敬意・尊敬を表すサンスクリット語「ナモ」が訛って漢訳されたという話もあるようです
ひょっとしたら名古屋弁の「ナモ」も浄土真宗の影響を受けているのでしょうか・・・
※ご存じの方、ご指南くださいませ
そして先日再読したタイミングでは、こんなフレーズをメモしていました
自分を信じ、自分を愛することが出発点
あるがままの自分を信じる
わがはからいにあらず
本物のプラス思考は究極のマイナス思考から
諦める、という言葉の本来の意味「明らかに究める」
「できないものはできない」と思う
いま大切なのは〈励まし〉ではなく〈慰め〉であり〈悲〉なのだと強く感じる
ふたりで歓べば歓びが二倍になり、ふたりで苦しめば苦しみが半分になる
人は宗教的なものに目覚めることによって安心立命できることは決してありません
小生、特定の宗教宗派を信仰しているわけではなく、その上で、法然・親鸞・蓮如系の教えはどちらかというとネガティブな印象を持っていますが、実は五木寛之さんの考え方には、かなり影響されていると自覚しています
薬を服用せず、自分の身体と常に対話すること
感謝の日記をつけ、良いことだけ考え布団に入ること
まず自分自身を大切にし、自分自身を信じた上で、諦める(明らかに究める)こと
その昔はポリネシアンにもチャレンジしたりと・・・懐かしい
頭を一ヶ月洗わないとか、腹五分とかは絶対無理ですが・・・
いずれにしても、本日のアイテム、激動の2020年代だからこそ多くの方に手に採っていただき、参考にしてもらいたい、そんなオススメの文庫本です
今回もお役に立てれば幸いです
ではでは
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