本日は、五山の送り火。
毎年、8月16日の風物詩ですよね。
お盆期間の定義は、難しいものがありますが(東京では7月ですし)、小生は、16日までと納得しております、
そんな日の前日が、先の戦争の終戦記念日というのも、何だか偶然とは思えませんが・・・この「終戦の日」の定義についても、諸説ありますが、今回はそこには言及せず、進めたく存じます。
さて、今回ご紹介するアイテムは、その戦争に突き進むことになる直前の様子を、綿密な取材を元に克明に描いたノンフィクションです。
自身、この時期になると、ついつい手に採りたくなる名著ですね。実は昨日の朝の実践読書でも、題材にしておりました(実践項目についてはお察しください)。
☆旧ブログでもコネタにしておりましたね♪
https://cherrychan.exblog.jp/19422896/
各官庁・軍・民間等、日本中から召集された若きエリートが集められ、日米戦争を想定した総力戦机上演習に取り組み、その予測結果が、日米開戦のおよそ3か月前、近衛文麿首相や東條英機陸相以下、当時の政府・軍部(統帥部)関係者の前で報告されました。
その集団とは、総力戦研究所。
国家総力戦に関する基本的な調査研究を課し、選抜された若手エリートたちに対し、総力戦体制に向けた教育と訓練を目的とする、内閣総理大臣直轄の研究機関という位置づけです。
このシミュレーションの内容が凄いというか、青国という日本を想定した仮想国の各機関トップという役割を真摯に貫き通し(内閣総理大臣は、比較的年長である現在の農林中金出身者・窪田氏が務めました)、そんな模擬内閣が導き出した結論が、「日米戦日本必敗」というもの。
これが、本書のタイトルにあるとおり、昭和16年8月のことでした。
「戦争すべきでないというより以前に、これはできないということを、軍需省や商工省のテクノクラートなら誰でも知っていた。統監部が強圧的に開戦を求めない限り、経済関係の研究者ならば答えは当然否であった。」<p146>
悲しいですよね・・・
しかも、彼らのシミュレーションの中で、ひとつだけ最後まで分からなかったのは、生命線ともいえる、当時の日本の石油備蓄量。
なんと、民需用の備蓄は把握できても、軍需用については、陸海軍ともその数字を秘匿して、大蔵省や企画院(内閣直属の物資動員・重要政策の企画立案機関)にも教えず、お互いが腹の探り合いをしていたというありさまなのです。
そんな状況で、よくもまあ、戦争に踏み切ったと思うのですが、それは、現代社会に生きる人間だからこその見方なのかもしれません。
悲しいより、恐ろしいですよね・・・
さて、そのシミュレーションを二日間にわたって見届け、詳細にメモを取り続けていた、ホンモノの東條陸相(開戦時の内閣総理大臣)は、総力戦研究所・所長の講評の後、徐に立ち上がり、こめかみを震えさせながら、蒼ざめた表情で、このように語ったそうです。
「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君たちが考えているようなものではないのであります。日露戦争でわが大日本帝国は、勝てるとは思わなかった。しかし、勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦いというものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利につながっていく。したがって、君たちの考えていることは、机上の空論とまではいわないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということでありますッ。」<p200-201>
先ほど、内容が凄いと触れたのは、真珠湾攻撃による開戦と原爆投下による終結以外、彼らが繰り広げたシミュレーションが、現実の戦局推移とほぼ合致するものであったということです。
開戦前から終わっていたという・・・
しかしながら、こういうことって、ビジネスシーンやプライベートにおいても、散見されませんか?
☆先ずは、事実(数字)を直視することが肝要ですね!
先の戦争に想いを馳せるのみならず、自身の立ち振る舞いへの戒めにも有益なアイテムかと存じます。
先の戦争の失敗という意味では、名著と誉れ高い『失敗の本質』という書籍がありますが、コチラは、そもそも「最初から勝てない戦争」であったという前提で、ノモンハンから沖縄戦における各作戦においての分析論なので、切り口が異なります。
☆未読の方は、コチラも是非オススメですよ!・・・ちなみに、コチラは一昨日の実践読書の題材でした(;^ω^)
今回もお役に立てれば幸いです。
ではでは。
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