大峯千日回峰行を満行された塩沼亮潤大阿闍梨による作品です
著者の講演会に参加したのは13年前のことだったと存じます
会場は新宿のホテル
主催は、版元の致知出版社だったはずです
『致知』も10年購読していましたが、5年ほど前に中退していましたね(この雑誌の場合卒業は臨終の時でしょうか・・・笑笑)
今でこそ、奈良吉野の金峯山寺へは、毎年のように参詣しています
今年に限っては、新型コロナウイルス感染症拡大のため自重していますが、昨年まで7年連続で大峯山へ登拝し、翌日は必ず金峯山寺へお礼参りしていました
その他、プライベートでも二桁は参詣しているのではないでしょうか
その金峯山寺から大峯山・山上ヶ岳の往復48キロ、高低差1,300メートル以上という険しい山道を16時間かけて一日で往復する行を、9年間一日にも休まず1,000日続けて歩き通すという大峯千日回峰行を満行された塩沼亮潤大阿闍梨
※行の期間は5月の戸開けから9月の戸閉めまでの4か月間と決められています
その上、セットの行として、9日間飲まず・食べず・寝ず・横にならずの「四無行」を満行
常人ではないことは明らかですが、講演会での印象は、なんと穢れのない澄んだ表情をしたお坊さんなのだろうというものでした
当時は、修験道というものが何か、全く理解していませんでしたが、自身年に一度の大峯山登拝を通して体得したのは、里での行が大切だということ
塩沼亮潤大阿闍梨も、その体験から著書を通して、そんなことを語りかけてくれているようです
行とは行じるものではなく「行じさせていただくもの」 人生とは生きるものではなく「生かされているもの」 行とは、人生とは、ひとつひとつ見えない徳を積み上げていくもの
どんなに偉くなっても、人の下から行きなさい。 皆さんにお仕えさせていただくという気持ちは忘れてはいけない(母の言葉)
お山に行って、何も気づかず、悟らず、帰ってくるのは、 宝の山に入って何も持って帰ってこないのと一緒です
その日のことはその日のうちにする。そのために私は、自分に十の力があれば十を出し切ることを心がけていました
現実を受け入れ愚痴らず、精一杯生きていると、そこに道がひらけてくる
山で修行した人だけしか悟れないというものではない。それぞれの生活の中で、それぞれに与えられた役目を果たしていく中で、心を研ぎ澄ませ、目を凝らし、耳を澄ませたとき、いろいろなことが悟れる
心を込めて生きるから心が変わり、心を込めて語るから相手の心に伝わり、心を込めて行うからみんなが感動してくださる
行を終えた今現在も、「今日より明日、明日より明後日」と、いつもいつも過去最高の自分になれるように神仏に手を合わせ、祈っています
想えば、この頃、貪るように自己啓発書や宗教書を読み漁っていた自分がいたことに気づきます
心の養分として必要な時期だったことなのでしょう
そして先日、その塩沼亮潤大阿闍梨を特集した番組を視聴する機会に恵まれました
※BS1スペシャル「大峯千日回峰行の道を行く 修験道・塩沼亮潤の世界」
http://www.shionuma-ryojun.com/jp/news/2020-09-29.html
驚いたのは、前頭葉あたりに、現代医学でいうところの「認知症」や「高次脳機能障害」と診断される程の「脳の欠損」があるMRI画像が紹介されていたこと
塩沼亮潤大阿闍梨が向き合った荒行が原因と想われるという医師の見立てでしたが、動じない心は、この「脳の欠損」が作用しているのかもしれません
自己啓発書の類には、
突き抜けるには、トコトン馬鹿になれ
というコトバが紹介されたりしていますが、医学的にも裏付けされた一例かもしれませんね
小生の身近にも突き抜けた方が若干名いらっしゃいますが、脳のMRI画像を一度拝見してみたいものですね・・・笑笑
いずれにしても、一人ひとりが与えられた役目を全うすることで、世の中がより良くなっていく
三方よし
に繋がる哲学かもしれません
そんなことも気づくことができる良書ですので、ご興味持たれた方は是非読んでみてください
今回もお役にたてれば幸いです
ではでは
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。